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沼池(ぬまち)

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ドラえもんがドラえもん

なぜドラえもんはドラえもんズのリーダーなのか


ドラえもんは不良ロボットである。工場の製造段階でネジが一本抜け落ちてしまったためだ。
そのため、セワシの家にお手伝いロボットとしてやってきてもへまばかり、自分と瓜二
つに製造されたほか多数の優秀な(不良品でない)ロボットたちと自分とが違うことに
深く落ち込み、劣等感を抱く。ネズミロボットに頭の耳をかじられ耳は取れるは、終い
には元気の出る薬と間違えて、落ち込む薬(自分で出した)を飲んで、何日も激しく泣
き叫び続け、そのために声は枯れ黄色い塗装は剥がれ落ちてしまう。
結局のところ、ドラえもんは「醜いアヒルの子」とほぼ正反対の経緯を経て今に至るのだ。
ドラえもんは落ちこぼれの劣等者である。しかしその事実は、むしろドラえもんをドラ
えもんたらしめている。一番重要な要素であるともいえる。

ドラえもんは、本来大量生産品の中の1個に過ぎないはずだった。彼は自身のからだに
何の疑問も持たず、セワシの家で便利なお手伝いロボットとして使われていくはずだった。
しかし偶然にも、一個のネジという欠損により、彼はその他大勢と区別されることになる。
ドラえもんは悩まなければいけないという宿命を持って、完成させられてしまう。
このネガティヴな差異は、しかし、ドラえもんのこころを育む最大の要因になる。彼
は不良品であったからこそ悩み、自らの劣等感を昇華させる形で己独自のアイデンティティを築いてゆく。
ドラえもんはドラえもんであり、この、悩める「ボク」自身でしかないと自覚される。

『頭テカテカ 冴えてピカピカ それがどうした ボクドラえもん』

ちゃんちゃん♪
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体毛/キリン

あの、


今日は雪がふり、つめたい思いをしたが
冷たいと感じた自分はその瞬間に過去に
なっているから冷たいと思ったことの記憶は果たして精密
なのかどうか、正確な冷たさの感覚は、存在するのか。
はじめて冷たいと思ったのはいつだったろうか???
感覚を語ろうとしたら記憶をたどってその感覚に似ている
ものを言葉にしてしまうしかないあたりが絵ににてる


似せても似せても近似値をとっても、それは似ているであって
同じにはなって重なることはないようなきがしているのです
そのことは似せることの正義は完全に破綻していると。
似せていくという行動はすこし疑わないとなるまい
何に似せていくのかは気にしたほうがいいかしれない



とは、panpanyaさんが自身の日記の中で書いていたんですが、それをよんで俺は「ああ」ってよくわからないけど思いまして、日記久しぶりに書こうかとか思ったわけなんですが。

「かんかく」とか「気」って要は「夢」のことじゃないですか、でそういうのってそとにでてくれないんですよね。外には「記憶」ってのがあってそれがうえにかいた「感覚」とかの近似をしてくれる仕組みになっていて、それは理性的なんですね。記憶はことばで記述されるもので、それが昨日見た夢とか今食べたオムライスの味とかを再録してくれるわけですが。そうだとおもいます。おれはそんな風に思いました。なので「思い出す」っていう動詞は実はあまり好ましくないのかなある意味では。とか思うわけです。思い出さす必要もなく、類似を気にしないかぎりはそういう風にものを作ることも可能というか、そのほうがいいのかなとかんじます。ある意味では。
クオリアってことばの響きが素敵です。


日本語はえんえんと婉曲で切るのでこまりものですね。

芸術って何なの? とかいうひとりごと。ちょっと新ラさんとこの記事を読んで触発された。

おそらく、今現在の「現代美術」は、美術館を中心とした既存の教養的美術体系にけんかを売ってる。←イマココ  だから「これもアートだろ?wあれもアート??wwwアート(笑)」みたいな一見むちゃくちゃで型破りな作品が多く出ている。「おまいらお偉方が寄り集まって信望してきた『芸術』って一体なによ?」ってみんな言おうとしてあがいてる。
だからね、きちんとかんがえられた作品には正しく鑑賞すれば一貫したテーマやコンセプトが見えてくるし、簡単には貶められない強さがあるもの。ただそういう真面目な人たちと、「アートってらくがきで行けんじゃねwww」みたいに考えてる軽薄な人たちがごっちゃになってるから見づらくなってるだけでそのうち淘汰されるでしょう。

あと、作品と値段の話を直結して考えてはいけない。作品の値段=作品の価値ではないです。美術作品には、オークションとか、そういうものが流通する専用のマーケットがあって、値段というのはあくまでそのなかの話だから。俺は経済とか、マーケットとかには全然詳しくないからあまり語れないけれども、

フィギュアが16億円で落札された現代美術家・村上隆 米で人気の秘密

↑とか見てみるといいかもしれない。
すこし引用すると、「村上氏の海外での認知度が高まるにつれ、(村上氏の作品が)「投資対象」になっていることも高額落札の背景にあるという。」(※太字化、及び括弧内の補足は筆者)
ということもあるみたいで、このことからも価格≠価値であることがわかると思う。


ひとついえるのは、美術館に収蔵されたかったり、高額取引されたかったら空気読めってことでしょうか。
そんな芸術俺は嫌だけど。

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