<前略>
「子ども」の「ども」がなぜ「共」ではなく「供」なのかということが気になり、昔うわさで子どもはかつて人身供犠に使われていたから「供」の字が当てられたと聞いたことがあったから、「子供」の字を辞書で調べる。それによると「供」には「わっぱ(わらわ)」という意味があるという。さらに「供」の字を辞書で調べてみると、「供す(きょう・す)」という言葉には「手も足も出せない(役に立たない/使い物にならない/未熟だ)」という意味があるそうで、故に「供」を「わっぱ」の意味として使うらしい。
それで一応は納得したのだが、しかしこの「供す」という言葉にそもそも「供犠に出す」という意味があったのではないか、と勘繰る。「手も足も出せない」というのは、そもそも、生贄のために手足を切り落としてしまうようなことがあったのではないかと、邪推するが、そこまでは調べてもわからない。
<後略>
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