「詩」は、本質的なレベルでは、「イメージ」を伝えるものでは無いとおもう。
「イメージ」っていうのは、視覚はもちろん、聴覚、味覚嗅覚触覚、つまり他の感覚のクオリアで代替できる代物という意味だが。
「詩」は、本質的には〈「詩」そのもの〉を、つまり〈言葉としての言葉〉、いわば〈言葉のクオリア〉とでもいうようなものを、伝えるためのツールだと思う。
間違っても、わかりやすい比喩で形容できるようなもの、言い表せるようなもの、を表現・伝達するためのものとしては、「詩」は機能しているのではないはずだ。
本来的には「不可知」なもののために機能していなければならない。そうでなければ「詩」としては機能していない。
そんな風に思う。
それから、宇宙に中心は無い。