統合ははじまりであるわけですが、統合ははじまりにすぎないということです。統合された、その先に行った先での話。その繰返し。反復ではない、また新たな関係が私と世界との間に形成される。
「開かれた」というのはあらゆる方位に無限に、ということだが、その可能性たちのある場、ある場では、かならず関係の新たな結ばれ合いが思わせられ、試みられることを経て、それは成就したり失敗したりすることで、世界へも私へもそれぞれ、可能性の結果と、そこから派生する新たな可能性への期待という形で、フィードバックされていく。
そうした模索と再認知の漣(さざなみ)のはるかとして「無限」は定置されている。そこへ到達することが目論まれているわけではなくて、そうした試行延長のあくまで結果として。
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