統合ははじまりであるわけですが、統合ははじまりにすぎないということです。統合された、その先に行った先での話。その繰返し。反復ではない、また新たな関係が私と世界との間に形成される。
生命を謳歌されるのは一時なり生命を蹂躙されるままに、皆それぞれの生をいきといて9割をのこす。残りの1割その基底に上乗せして欲望のままに機械的として暴力を慾して制禦を欠いた、肥大しすぎて私ですらない「無死貪慾」の怪物おのれの意志を欠いたリヴァイアサンのような蠕動して渦を巻くただの有機体の塊として強制的生を生きられる。(それは多様性を飲み込み押し潰す形態をとる)
そのはざま―私は―しかしこうしていられることの「平和」安穏を厳しく追認し続けるはず。
私 ⇔ 多様性=私でないもの(<斜線を引かれた「私」>)
否定的でない対立。否定的でない対立が多様性の基軸にあり、ものごとを"美しく"配置し直す。(con-stella-tion:星座的配置)
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