俺が背中を押さなくても誰も彼もはおのおの勝手にいろんなところから刺激をもらって、勉強して、成長していくものなんだなと思ったので、俺が他人のものつくりに手を出すのは傲慢以外の何ものでもなく、そんなことはまえまえからわかっていたが、改めてこんな風に明らかにするのは良いだろうという考えで、つまりは自分のことばはすべておなじような自己確認の繰り返しだということ。
自分のつくったものや、発したことばは、このようにすべて俺個人の内輪に帰っていくものなので、本来ならば全然外に見せるものではないし、見せられるものでもないが、自分の傲慢さが、それを認めず、こうしてちいさいところではあるが、外に見せるというのは、まるでうそ泣きをしているような感覚で、ある。
むかしから考えて、計画的にものをつくるのは苦手で、他人に見せることを想定して作るのも身体が固くなってしまう。
自分は残念なことに天才でも万能でもないので、俺がやりたいことを、他の誰かがやってくれるのならそれに越したことはなく、私はただその結果を見たり所有できたりさえすればよく、それで自分はまんぞく「してしまう」のだが、それが良いのか良くないのかは、よくわからない。
ただ、いいものをつくる人が、近くにいてくれるのなら、その人にことばをあづけたい。
PR