忍者ブログ

沼池(ぬまち)

距離を測る。 ■mail→ yoshiwoemon [at] gmail.com ■Click MENU.
MENU

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

たいしたことない

今日電車に乗っているときに隣に座っていた親子、母親は40代前半ぐらい、息子は小学3年生くらい、がいたのだけど、雑談をしていたのだが、その会話のながれで、母が息子に「ママが居なくなっても大丈夫なようにしないとね」みたいな話になって、あるいは「ママが居なくなっても1人で暮らしていける?」というニュアンスだったかもしれないのだけど、それで子どもの方は「えー」とかあんまりというか、全然深くも考えない(考えられない)相槌しか打っていず、けらけらとわらっていたのだけど(というか雑談だったのだから当然なのだけどこういう反応は)、そんなとき母親が「たぶん、あんまりたいしたことじゃないと思うよー」という様なことを言った。
 隣で聞いていた俺としては全く不意の発言で、だから母親が息子に対して喋りかけたのか、自らに対してつぶやいたのか、判然としないように聞こえた感じがするのだけど、でも小3(推定)の子どもに対して、母親が突然居なくなるという状況は全然たいしたことじゃないわけないと思うのだが、もし俺が(いつか)自分の子どもに対して似たような話をしたとしたらもっとおどしかけるというか、自分であるところ保護者不在の“恐ろしさ”をおかしく誇張して喋っていはしないかとか思ったのだが、だからその母親のそのことばはすごく、なにか強い思想のような、価値観のような、独特なそういうものを背後に持っているように感じさせたのだが、つまりは意図が俺には全然わからなくて凄い、というかいっそ不気味というような感じがした。
 でも、すぐに思い直して、というのは、世の中は所詮そのようなものかもなーとか紋切り型に考えたこともあったし、また自分が今現に1人暮らしをしていることを考えて、もしかしたらその母親は、自分が親から自立したときのことを思い出しながら「たいしたことない」といっただけかもしれず、その意味では、たしかに、俺個人的に考えても「ちょっと大変だけど、「たいしたことない」といえるなら、たいしたことはないことだ」と思った。そしてその母親とおれ自身とが全く他人同士であるので、もし本当にここでその母親が居なくなってしまったとしても少なくともおれ自身は、その母親が言うように、たいして困りはしないよな、とも思った。しかしこれは全然もとの発言の意味を外れている訳だが、俺が困らないのだから、もしかしたらその小3(推定)の息子も困らないかもしれない、となぜか思ったのだった。それくらいのつよさの「確信」を俺には想起させる程度の、言い方がその不意の声にはあったと思う。
 その発言をうけてなぜか子どもは「毎日「買い弁」(弁当を買って食事を取ること、だと思う)しちゃうよー」とか、いって、まいにち買い弁だとおかねかかっちゃうねーどうしよっかーみたいなまたふたたびもとの雑談に戻っていった。
PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

× CLOSE

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

最新トラックバック

バーコード

ブログ内検索

最古記事

(05/28)
(05/29)
(05/31)
(05/31)
(06/01)

× CLOSE

Copyright © 沼池(ぬまち) : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]