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沼池(ぬまち)

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「子供」(夢の一部分)

<前略>
「子ども」の「ども」がなぜ「共」ではなく「供」なのかということが気になり、昔うわさで子どもはかつて人身供犠に使われていたから「供」の字が当てられたと聞いたことがあったから、「子供」の字を辞書で調べる。それによると「供」には「わっぱ(わらわ)」という意味があるという。さらに「供」の字を辞書で調べてみると、「供す(きょう・す)」という言葉には「手も足も出せない(役に立たない/使い物にならない/未熟だ)」という意味があるそうで、故に「供」を「わっぱ」の意味として使うらしい。
それで一応は納得したのだが、しかしこの「供す」という言葉にそもそも「供犠に出す」という意味があったのではないか、と勘繰る。「手も足も出せない」というのは、そもそも、生贄のために手足を切り落としてしまうようなことがあったのではないかと、邪推するが、そこまでは調べてもわからない。
<後略>
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2010年10月はじめ頃の夢(『実相士』)

(曖昧)
<前略>

西尾維新原作、プロダクションI.G.制作の話題アニメ『化物語』(刀語? あるいは『生物語』だったかもしれない)がテレビで放送すると母に教えられ、見る。ハイビジョン画質でとても美しい。DVD録画する。
セリフやオープニングはなく、いきなり始まる。草原か丘のような場所に、主人公が居るカットか。メインキャラクターは全員若者。主人公格の男(A)と女(B)、サブレギュラー格の男(C)と女(D)の4人。C、Dは2人とも、物静かで繊細、病弱な雰囲気で、髪も金髪など薄い色。4人は友人同士。彼らは魔法のある世界に暮らしていて、その使い手を「実相士」というらしい。その見習いとして修業を重ねている日々。その日常が描かれる大長編の第1話に当たる。
ストーリーの序盤で、Dは病死してしまう。一応、A-B、C-Dがカップルであることが暗に示されており、孤独を抱えてしまうC。A,B,Cの3人は励まし合いながら一層の研鑚にはげむ……。
実相士には、年次の大会のようなものがあって、それは格付けと試験とを兼ねている。
その大会を目標にしている者が多いため、中には無茶をする者もいるという事だった。
<略>
雨が降っている。どこかの駅前らしい陸橋の上。AとBのエピソードらしい。Bが、悪い実相士退治で待ち伏せをしている。そこへ、大きなピンクのワニのような化物がのっそりと現れる。口内に毒の液体を溜めていて、口からその毒が気化した湯気が出ている。どうやら、悪い実相士の変身した姿らしい。
Bはおもむろに、その口へ頭を突っ込むようにして湯気吸い込む。最初は大丈夫だと思ったのだが、しかしやがて昏睡してしまう。どうやらその毒に耐えることができると相手を倒せるらしい。そうしてBが眠っている間に、ピンクのワニは去り、代わりにAがやって来て、Bの財布へ1000円札を忍ばせたりと何かこまごましたことを色々と行う。どうやら、それらは一種の儀式のようなものだったらしく、そのおかげでBは回復する。<略>
その帰路、A,B,Cの3人で、雨後の、水たまりばかりの砂利の坂道のような場所を歩いている。
「どうしてあんなやつらがいるのかしら」とBが言う。
「それはAECE(例の大会の略称)があるからだよ。仕方ない」とC。
そんな会話をしている。
<略>
高地のような、とても標高の高い土地に住んでいる3人。Cはおらず、AとBだけがいる。はるか遠くに下界がぼんやりと広がり、手前には厚い雲か霞が流れている。とても涼しそうな印象。
(この場所は自分の実家の庭の様子に似ている)
どうやらAが、AECEで優秀な近年まれに見る成果を修めたらしく、Bは感心しきり。
「すごいじゃない!」とB。「ねえ、”陰(イン)”の試験を受けてみたら?」
「えっ、陰……!?」と少し驚くA。
この世界の魔法には6段階ほどのレベルがあり、その最も高度なものを「真(シン)」と言い、「陰」は2番目に当たる。陰より上の魔法を使える実相士はめったにおらず、真のレベルになると、大賢人級だという。真のレベルでは魔法の言葉も通常とは異なり、その言葉は「真の言葉」という。
「陰の魔法を修めれば、自ら物質を創造できるの」とBが言う。
魔法には、レベルとは別に<属性>(=「実相」)が何種類かあり、この世界にはそれぞれの属性を帯びた領域が小さな星のようにたくさん浮かんでいて、人々はこうして浮かんでいるそれぞれの土地で暮らしている。陰の魔法を修めると、こうした土地を独力で創造できるまでになる。これは、とてもすごい事のようだ。また、実相士は1人1属性の魔法しか修めることはできない(途中で修める属性を変えることはできる)。見習いは、師匠について修行をする。
そして、この世界の「魔法」は、全て<ものごとを存在させることに関わる術>であり(だからこそ「実相」とも呼ばれるらしい)、レベルが高次になるほどより複雑な物質を生成することができるようになるらしい。
Aの暮らしている土地あるいはAが修行している実相は「水」の属性らしく、この「水」の実相で「陰」のレベルを極めた状態を漢字1文字で『水防』と表す(読み方、忘却)。
また、陰と真のレベルの間には、実際はあまり違いはないらしく(技術というよりは精神性の高低で区別されている感じ)、陰の実相を修めるには真の言葉を用いる、という。
Bははしゃいでいる感じ。Aの方へ振り返りながら言う、
「ねえ、私の付いている師匠ね、<木>の真の実相士なの。彼の元で修業しない?
 ≪実≫の実相士なのよ」
その言葉を聴いて、Aは彼女の師匠の元で陰の実相を修めようと決意する。「実」とは、「木」の実相から派生した従属性に当たるもので、基本的には「木」の実相に属するものである。
ここで、場面が急に静かになる。AとBが背中合わせに立っているミドル・ショットが映される。
風が吹いている。無言の長回し。
突然、2人とも決意したように鋭く長い白い刃物(下図参照)をどこかから取りだし、お互いの上腕外側の皮膚の部分を貫き合う。
血が出る。
これは、愛の誓いを示す儀式で、このシーンはお互いに愛の告白をした、という意味。
貫いた道具の血をぬぐうと、BがAの胸へ「大好きだよっ……」と抱き着く。
そして、BかAか、どちらかが馬へと乗り、Bが何事かをAへと言う。
この間、Aは終始一貫して無言。穏やかに微笑んでBを見つめている。
そしてキャラクターは退場して、そのままエンディングも音楽も無く、始まりと同じく唐突に物語は終了した。

俺は映像を見終えて、すぐれたラストシーンだと思った。
Bは自分に劣等感を抱いていて自分はAに釣り合わないと思っていたから、はたから見ればAとBとはカップル同然なのに、Bが逆ツンデレといった感じで、Aを心からは寄せ付けない、という感じがあって、このラストシーンまでずっとやきもきとさせられていた。それだけにこのラストシーンは深く心を打った。Aが無言だったのも良いと思った。ちなみにBの髪型はポニーテール。
見終えた後、ちゃんと録画できているか確認してみるのだが、ひどく画質が悪くなっていてガッカリする。DVDをとりだして、緑色のレーベルに緑色のマーカーで「化物語」とタイトルを書きこむが、「生物語」に訂正する。
緑に緑は見づらくないのかな、と思う。

無題

去勢した後にこそ、実りが生じる。

緑色の実りが。

段々の畑を登っていく充実した実りが。

肥沃な土壌の上に生じる。

たいしたことない

今日電車に乗っているときに隣に座っていた親子、母親は40代前半ぐらい、息子は小学3年生くらい、がいたのだけど、雑談をしていたのだが、その会話のながれで、母が息子に「ママが居なくなっても大丈夫なようにしないとね」みたいな話になって、あるいは「ママが居なくなっても1人で暮らしていける?」というニュアンスだったかもしれないのだけど、それで子どもの方は「えー」とかあんまりというか、全然深くも考えない(考えられない)相槌しか打っていず、けらけらとわらっていたのだけど(というか雑談だったのだから当然なのだけどこういう反応は)、そんなとき母親が「たぶん、あんまりたいしたことじゃないと思うよー」という様なことを言った。
 隣で聞いていた俺としては全く不意の発言で、だから母親が息子に対して喋りかけたのか、自らに対してつぶやいたのか、判然としないように聞こえた感じがするのだけど、でも小3(推定)の子どもに対して、母親が突然居なくなるという状況は全然たいしたことじゃないわけないと思うのだが、もし俺が(いつか)自分の子どもに対して似たような話をしたとしたらもっとおどしかけるというか、自分であるところ保護者不在の“恐ろしさ”をおかしく誇張して喋っていはしないかとか思ったのだが、だからその母親のそのことばはすごく、なにか強い思想のような、価値観のような、独特なそういうものを背後に持っているように感じさせたのだが、つまりは意図が俺には全然わからなくて凄い、というかいっそ不気味というような感じがした。
 でも、すぐに思い直して、というのは、世の中は所詮そのようなものかもなーとか紋切り型に考えたこともあったし、また自分が今現に1人暮らしをしていることを考えて、もしかしたらその母親は、自分が親から自立したときのことを思い出しながら「たいしたことない」といっただけかもしれず、その意味では、たしかに、俺個人的に考えても「ちょっと大変だけど、「たいしたことない」といえるなら、たいしたことはないことだ」と思った。そしてその母親とおれ自身とが全く他人同士であるので、もし本当にここでその母親が居なくなってしまったとしても少なくともおれ自身は、その母親が言うように、たいして困りはしないよな、とも思った。しかしこれは全然もとの発言の意味を外れている訳だが、俺が困らないのだから、もしかしたらその小3(推定)の息子も困らないかもしれない、となぜか思ったのだった。それくらいのつよさの「確信」を俺には想起させる程度の、言い方がその不意の声にはあったと思う。
 その発言をうけてなぜか子どもは「毎日「買い弁」(弁当を買って食事を取ること、だと思う)しちゃうよー」とか、いって、まいにち買い弁だとおかねかかっちゃうねーどうしよっかーみたいなまたふたたびもとの雑談に戻っていった。

夢の名前

【人】

○陽花(ようか)、あっちゃん

2010年頃の夢に出てきた、12歳くらいの可愛らしい女の子の名前。自分の娘か、身内というようなことだったと思う。愛称が「あっちゃん」。「陽花」の愛称がなぜ「あっちゃん」なのか良くわからないが、個人的に「陽」は「あ」という感じがしないでもない。ところで「陽花」ってひまわりのことだろうか。


○小夜(ねや)

数日前に布団の中でまどろんでいたら突然ひらめいた名前。名前だけ出てきた。まどろみながら、「ねや」という読み方はおかしい、「さや」じゃないかと考えていた記憶がある。「子」を「ね」と読むので、「子」は「小」さい、と連想して「小」が「ね」になったのだと思う。あらためて考えてみると「ねや」は「閨」にも通じている。

 *

【その他】

○カルケライトパッパ

現在のこのブログの名称も、夢に出てきた名前です。
2~3ヶ月くらい前に見た夢で、その中では、NHK教育の子供向け番組の名称でした。
ヘタウマな絵で12~14歳くらいの少年少女が出てきて、紙芝居アニメで歌を歌ったり自己紹介したりするという内容だった。お下げの女の子がハスキーボイスで歌を歌っていたのを覚えている。
この名前は、多分読みにくく覚えづらいから、そうつけたんだと思う。そんな感じだった。

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