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よしをの震後/原・映像

福祉と創作。言葉と身体。漫画。■管理:よしを ■mail→ yoshiwoemon [at] gmail.com ■Click MENU.
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にわにわにわにわとりが……

庭には二羽に、埴輪には庭に、母は葉も桃も供えた。
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にわにはにわにはにわにはにわにははははももももそなえた
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古歌供養(2012年夏)

かげろうの凝りて白き飛行船

遣り水を追いかけていく空に舟

熱射病の街を漂う船と霊と

カン蹴りの遠近法や空に舟

ゆっくらと空のぼりゆく飛行船何も思わで遊ぶ子は無し

天辺の広告板は身を翻(かえ)しゆっくりと描く色即是空

蝉しくれ切り取り結び投げ遣るに天の一方を飛行船逝く

深々と宇宙の闇を蓋(おお)うほど不透明かよ恒星の灯は



森にひぐらし町にあぶらぜみ精霊会(しょうりょうえ:お盆のこと)

精霊送る山にひぐらす言葉たち

精霊を送りし故郷(さと)に蝉時雨(しぐれ)かな

風立ちね虻一匹の雨宿り

兵(つはもの)や雷(かみなり)黒き雨持って来(き)

どうと打ってまたかしこまる雨ごもり

夕立や耳目鼻(みみ・め・はな)白くけぶらせ

青かびの匂い起こして通り雨

遠雷や3秒すっとばして鳴り

遠雷や光しもせで腹下し

遠雷や突然アブラゼミの鳴く

あぶらぜみ黄色き雲の忽然と

夕立や湯気立つ身体(からだ)の夢見がち

べったりと屋守(やもり)張り付く低気圧

肉薄すスズメガの夜ひるがえし

さ夜ふけて蝉くつがえるタオルケット

炎上詩①,②



炎上が怖くて、凍結する人々。
言葉が凍結して壊死。
広がった先々は根腐れ。
やがて幹は灰色になって枯渇。
大きな「うろ」が空いて、崩落。
炎上する先端は空気分子を散らす。
煙は風に乗って拡散。
無呼吸と颱風。
津波は遠い沿岸を洗う。
削りだす水分子は石走って浸透。
循環する大気と降雨。
森林火災を濡らす。
根を張り巡らせ。
虫虫はかしましく繁殖。
月経血ながれる中天の名月。
そそり昇がるイナ光。
あるべきやうは、



 ②

炎上を恐れる子供たちが凍り付いてしまう。
自らの燃え上がる姿から目を逸らして、徒党を組んだ。
火を付けて遊ぶ子供たちは自らの姿を知らない。
可燃性の体をもつ自分自身を知らない。
真っ赤なこどもたちは必死になって自分の体を青だと嘯くことに必死になって風景が闇であることを知らない。
彼らは自分の家に火を付けて遊ぶ。
「人殺し」という言葉が空から降ってきている。
方々にささる。
みんな気づかずに「雨だ」と言って傘も差さないで笑っている。
目の悪い人たちは「空から女の子が降ってきた」と言っては持ち帰って飼いならす。
みんな優しいのでにこにことしている。
みんな優しいのでにこにことしている。


しのびいたむ。


 今日昼間知人と散歩しながら、通り過ぎたわきの家にかわいい猫がいたので「猫だ、かわいいね」といったのだけど、その知人は「猫はかわいいけど、すぐひっかくから嫌だ。犬の方がいい」ということをいって、「猫はひっかくけど、犬はなめるだけだから。でも凶暴な犬なら噛みつくよね」って話をして、それで、そのまま、その知人が昔自分の家で飼っていた犬の話になって、それは「おとなしかったよ」ということだったのだが、それはもういつだか知らないけれどもだいぶ前に死んでしまった犬のことで「でももう死んでしまったけどね。」と残念そうに言うから、「でもきっと天国でも元気でいるよ」と俺はかなりありきたりの、まあ浅はかとも行ってしまえばそんな適当なことを口にしたのだが、その知人である彼女はそのまま受け止めてくれて「ウチのこと覚えててくれてるかな」
ということを、言った。
 それで俺はあれって思って、つまり、それは話が逆になってしまった。だって、死んだもののことを忘れずに覚えているのは生きているわたしたちの側の責任で、死んだものにとって「覚えている、いない」なんてことはそもそもなくて、これはそもそも俺が、ある意味死者を擬人化(擬生化?)して「天国で~云々」なんてことを言ったから相手もそれを受けて「死者が記憶している云々…」的な話をしだしてしまったはずなのだが、しかし、俺はその着想は面白いと思った。
 そうか、「そうだね。きっと忘れてないよ。覚えていてくれてるよ。○○さん(知人の名)だって、覚えているでしょ?」といって相手も「うん」とうなずいたのだが、そもそもこういう風に、「死んだものたちが覚えているのだ」ということは、一種の逆説なのだがどこかしら真理めいたものに感じられたのだった。
 死んだものたちが覚えていて、わたしたちはむしろ記憶される側に過ぎず、結局、死んだものたちによって、記憶されている限りにおいて、わたしたちはその死んだものたちのことを思い出すことができるのではないか?
 彼女は「覚えていてくれるといいな。忘れてたら悲しいもの」ということを言ったかどうか、はっきりとは思い出せないが、しかしそういう方向性のことは確実に言っていたわけだけど、死者が忘れる、ということがあるのだろうか。死者が覚えているとしたら、死者が生者のことをわすれてしまう、生者がその死者のことを覚えているにかかわらず! という話は、考えてもみるとわりによくある話で、そもそも例えば「うらめしや」とでてくる幽霊は確実に覚えているのだが、『バイオハザード』とかのゾンビはきっと覚えていない。
 いや、言いたいのはそういう話ともちょっと違って、そもそもここで喋っていた「覚えている、死んでしまったもの」というのは、具体的にどのような存在を、俺とその知人とは、仮定しつつ、喋っていたのだろうか。それは幽霊とも違うし、観念とも違う気がする。しいて言えば、「直感そのもの」みたいなものに限りなく近い、存在、というか。
 「直感そのもの」によって感知される、その、幽霊でも観念でもない存在というのは、しかし、おそらくこうした会話などによる「記憶の共有」を介してしかたちあらわれない、すごく「関係性の上」にしかないもので、あるいみまた、「関係性そのものの記憶的触媒」とでもいうような気がする。
 ごめん、かなり適当な造語を作ってしまったのだが、ようするに人と人とのかかわりの上での、その瞬間瞬間にのみ組織されてその時のそのかかわり(会話とか)の中限定で働くその人たちのみ共有の「記憶」もどきみたいなもので、全然要していないのだが、その中で「死者」が泡のようにその都度彼らの間に想起されて、その死者が「記憶する」。
 その死者が記憶することが、つまり生きている私たちがその死者を介した私たち間のかかわりの中でその死者について「思い出し」たり、「考え」たり、要するに「偲ぶ」「悼む」ということなのか。
 つまり私たちが偲び悼んでいるとき、わたしたちは死んでしまったものたちに記憶されていることをよりどころとして、死んでしまったものたちをおもいだしているということ。
 死んでしまったものたちは、生きている私たちが日々つくる関係性の延長にあって、そこからわたしたちに「覚えている」ことを送っている。ということ。

 ここにいなくなってしまったものたちは、空洞だが、わたしたちはその空洞を中心にして渦を巻く竜巻のような形で、きっと関係性を構築しているのだということ。

 ここにいないというときに、それがいいたいのは、「ここ」には「いない」というだけである。(しかしこれは「どこかに」―「いる」という関連性を導き出す為の言葉ではない。)
 「ここ」には、「いない」というのは、「ここには、いない」というだけだ。
 むしろ「ここにはいない」、外側に運動する関係性の方だ。

 そのことがわたしたちのものをしている。

2014年7月12日のメモ

統合ははじまりであるわけですが、統合ははじまりにすぎないということです。統合された、その先に行った先での話。その繰返し。反復ではない、また新たな関係が私と世界との間に形成される。

 生命を謳歌されるのは一時なり生命を蹂躙されるままに、皆それぞれの生をいきといて9割をのこす。残りの1割その基底に上乗せして欲望のままに機械的として暴力を慾して制禦を欠いた、肥大しすぎて私ですらない「無死貪慾」の怪物おのれの意志を欠いたリヴァイアサンのような蠕動して渦を巻くただの有機体の塊として強制的生を生きられる。(それは多様性を飲み込み押し潰す形態をとる)

 そのはざま―私は―しかしこうしていられることの「平和」安穏を厳しく追認し続けるはず。

 私 ⇔ 多様性=私でないもの(<斜線を引かれた「私」>)
 否定的でない対立。否定的でない対立が多様性の基軸にあり、ものごとを"美しく"配置し直す。(con-stella-tion:星座的配置)

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