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沼池(ぬまち)

距離を測る。■管理:相澤良紀(よしを) ■mail→ yoshiwoemon [at] gmail.com ■Click MENU.
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(訳)mum『finally we are no one』より

彼は僕の親指をにぎって、そこから連れ出した。これ以上そこにいる理由もなかったけれど、僕はためらっていた。
 「他の人たちを見つけなくちゃ」と彼は言った。彼は僕と目を合わせようとしなかった。僕たちは草原に入り、ボロ小屋を周って川へ下りた。ある理由から僕は一度もそこへ下りたことはなかった。
 僕たちはコンクリートのトンネルに入っていった。暗いけれど暖かい。
 音の一部が天井から漏れ聞こえていた。いまや、あの音楽が、また。彼は腰を下ろし、僕がそうするまで待った。
 「これで、僕らは誰でもない」と彼が言った。
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(芸術鑑賞ということについて)

① 空間・構造が正確に把握されているか
(創造すべきものについて真摯な姿勢で取り組めているのか。手を抜いてはいないか)

② 作品を通して思想・価値観のようなものをかんじられるか
(イメージの魅力のみで描かれていたり、単なるグラフや広告・プロパガンダであったりしないか)

③ 制作された時代にふさわしい、またはそれを超え得るような認識があるか
(作家は自身が生きている時代と向き合って、それを考えながら生きているのか。自己欺瞞はないか)

④ 時代・世間・自我にとらわれてはいないか
(作家は、自分とそれを取り巻く環境を認識したうえでそれを超えようとしているのか。無意識を信頼しているか)

⑤ 現実を重層的・多角的に認知しているといえるか
(一面的・妄信的になっていないか。「分からない物は認めない」「見たくない物は見ない」という姿勢ではないか)

24 questions and answers of Mother Teresa of Calcutta を訳す

カルカッタのマザー・テレサによる24の問いかけとその答え

いちばん美しい日はいつ。
今日。

もっとも大きな壁はなに。
おそれ。

もっとも簡単なことはなんですか。
まちがってしまうこと。

では、もっとも大きなまちがいは?
あきらめること。

すべての悪はどこからくるの。
利己的な心から。

もっとも良い気晴らしってなに。
仕事をすること。

いちばんよくない負け方は。
勇気を失うこと。

もっとも良い先生は。
こどもたち。

1ばん始めに、必要なことは?
人とかかわること。

人を幸せにするためには。
人のために、つくすこと。

もっとも大きな謎は?
死。

もっとも悪い欠点はとなんでしょうか。
とりみだすこと。

いちばん危険な人物は。
嘘をつく人。

良くない感情は。
うらみ。

もっともすてきなプレゼントは?
ゆるすこと。

不可欠なものは。
家族。

最短の道のりは。
正しい道。

もっとも喜ばしい気持ちは。
内なる平和。

身を守るのに一番のものは?
ほほえみ。

もっとも良い薬は?
なんとかなると思う心。

義務をなし遂げることが、もっとも満たされることだ。

もっとも力強いものは。
信ずること。

居なくてはならない人は。
聖職者たち。

この世界で、もっとも美しいものは?
愛。

(参照:http://nikkidoku.exblog.jp/20714316/

たいしたことない

今日電車に乗っているときに隣に座っていた親子、母親は40代前半ぐらい、息子は小学3年生くらい、がいたのだけど、雑談をしていたのだが、その会話のながれで、母が息子に「ママが居なくなっても大丈夫なようにしないとね」みたいな話になって、あるいは「ママが居なくなっても1人で暮らしていける?」というニュアンスだったかもしれないのだけど、それで子どもの方は「えー」とかあんまりというか、全然深くも考えない(考えられない)相槌しか打っていず、けらけらとわらっていたのだけど(というか雑談だったのだから当然なのだけどこういう反応は)、そんなとき母親が「たぶん、あんまりたいしたことじゃないと思うよー」という様なことを言った。
 隣で聞いていた俺としては全く不意の発言で、だから母親が息子に対して喋りかけたのか、自らに対してつぶやいたのか、判然としないように聞こえた感じがするのだけど、でも小3(推定)の子どもに対して、母親が突然居なくなるという状況は全然たいしたことじゃないわけないと思うのだが、もし俺が(いつか)自分の子どもに対して似たような話をしたとしたらもっとおどしかけるというか、自分であるところ保護者不在の“恐ろしさ”をおかしく誇張して喋っていはしないかとか思ったのだが、だからその母親のそのことばはすごく、なにか強い思想のような、価値観のような、独特なそういうものを背後に持っているように感じさせたのだが、つまりは意図が俺には全然わからなくて凄い、というかいっそ不気味というような感じがした。
 でも、すぐに思い直して、というのは、世の中は所詮そのようなものかもなーとか紋切り型に考えたこともあったし、また自分が今現に1人暮らしをしていることを考えて、もしかしたらその母親は、自分が親から自立したときのことを思い出しながら「たいしたことない」といっただけかもしれず、その意味では、たしかに、俺個人的に考えても「ちょっと大変だけど、「たいしたことない」といえるなら、たいしたことはないことだ」と思った。そしてその母親とおれ自身とが全く他人同士であるので、もし本当にここでその母親が居なくなってしまったとしても少なくともおれ自身は、その母親が言うように、たいして困りはしないよな、とも思った。しかしこれは全然もとの発言の意味を外れている訳だが、俺が困らないのだから、もしかしたらその小3(推定)の息子も困らないかもしれない、となぜか思ったのだった。それくらいのつよさの「確信」を俺には想起させる程度の、言い方がその不意の声にはあったと思う。
 その発言をうけてなぜか子どもは「毎日「買い弁」(弁当を買って食事を取ること、だと思う)しちゃうよー」とか、いって、まいにち買い弁だとおかねかかっちゃうねーどうしよっかーみたいなまたふたたびもとの雑談に戻っていった。

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